観音寺葉月(1話)
「ふぅ、ここなら誰もいませんわね」
ある春の日のあたたかい午後の時間。
観音寺葉月は、自宅の中だというのに人目を気にして辺りを見回していた。
目の前に広がる広い庭園には色とりどりの花が咲き乱れている。
誰も人はいないようだ。
お父様もお母様も、奥のお部屋にいるし、大丈夫ね。
すぅっと深呼吸して、胸に手を重ねる。
ラ、ラ、ラ…
葉月の好きなこと。それはこの縁側で思い切り歌うことだ。
ただ、人に聞かれるのは恥ずかしい。とくに身内には。
だから、いつも細心の注意を払ってタイミングを見計らっている。
それなのに。
いつも1人だけ邪魔してくる者がいる。
「はーづきちゃん」
来た。
パッと歌うのをやめ、縁側でのんびりとくつろいでいる様子を演じる。
もうバレていることには気づいているが、必死に取り繕う。
「なんですの、姉さま」
奥の廊下から現れたのは、6つ歳の離れた姉、観音寺円(まどか)だった。
「もー、何度目よ。お姉ちゃんには秘密にしなくていいってば」
にやにやしながらそう言って勝手に葉月の隣に腰掛ける円。
葉月はこの姉が憎たらしくて仕方がない。
いつもふざけたようなひょうひょうとした態度、妹を適当にあしらう姿、何より同じ遺伝子を持つはずなのにすらっと高い背丈。
気に食わない。
「何のことかわかりませんわね」
「私葉月ちゃんの歌好きなのにな〜?もっと聞かせてよ〜」
「嫌ですわ。大体あなたが入ってこなければ…」
「あれ〜っ、歌っているのは本当なんだ〜」
いたずらっ子のような表情をする円。
墓穴を掘ってしまった。
葉月は言い返すことができなかった。
ぱっと立ち上がり、円をきっと睨みつける。
「もうっ!」
それだけ言って足早にその場を去って行った。
そんな妹の姿を見て、円はため息をつく。
「本当に好きなんだけどな、葉月の歌」
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