三星遥(3話)


それから遥は昼休みや放課後、胡桃の練習に付き合うことが増えてきた。
最初は眺めているだけだったが、音楽の再生や動画撮影などを手伝うようになっていった。
今日も胡桃のダンス動画を撮影している。
出会った時よりもダンスの出来が確実に良くなっている。努力には結果がついてくるものだと改めて認識した。
アウトロが流れ、胡桃が最後の決めポーズをする。遥はスマホの画面をタップし、撮影を止めた。
胡桃が汗をタオルで拭いながら歩いてきた。
「ふーっ、今日はこれくらいかな。遥、今日もありがとね!」
「そろそろ予鈴が鳴る時間だもんね。後で動画送っておくね」
「ありがと!」
スマホをポケットにしまい、北校舎へと向かう。

「ねえねえ、もう数学の試験範囲って配られた?量やばいんだよね〜」
胡桃が話しかけるが、遥はどこか上の空だった。
ここ数日、なんだか胸のあたりがもやもやする。悲しいのか苦しいのか、なんとも言えないもどかしい気持ちになってしまう。
何かが心にひっかかっているようだった。

「遥?」

胡桃が俯く遥の顔を覗き込んだ。

「えっ!?あっ、えっと、数学!私のクラスはまだだよ…」
慌てて遥は返答した。
「遥どうしたの?最近ちょっとぼーっとしてない?」
「だ、大丈夫大丈夫…」
遥は元気、と言うようにガッツポーズをした。
胡桃は一瞬疑わしそうに眉を顰めたが、そう、と言って自分のクラスの教室へと戻って行った。
遥は小さく手を振るが、姿が見えなくなった頃、ちいさくため息をついたのだった。

例えば、胡桃の練習を見ている時。

(うわぁ…やっぱりすごいなぁ…あっ、このフリ、昨日よりもブレなくなった!あー、今のミスよくするなぁ。ターンの後だから少し遅れるのかも。後で言ってみようかな…)

ただ見ているだけだった遥だが、徐々にダンスを覚え、細かいところまで気にするようになった。遥のアドバイスは、胡桃のダンス技術の向上に大きく影響している。

テレビでアイドルが映った時。

(あっ、胡桃ちゃんが好きって言ってたアイドルだ!やっぱりかわいいし、パフォーマンスのレベルも高いな〜…わ、すごい数のペンライト。この景色は、ステージにいるこの子たちの目にはどう映っているんだろう…)

前は見向きもしなかったアイドルのパフォーマンスを真剣に見て、ファンではなくアイドル側の心情を気にした。

そう、遥はアイドルが大好きになっていたのだ。

とある日の昼休み。

いつものように胡桃はダンスの練習をし、遥はそれを撮影していた。
その途中も、遥は自分に違和感をおぼえた。

笑顔で踊る胡桃を見ていると、何故か自分も同じように踊りたくなってしまう。
胡桃の隣で歌って踊りたいと思ってしまうのだ。

もう既にキラキラとしたアイドルの輝きを放つ胡桃。
その姿を見ると、胸がきゅうっと熱くなる。
なんで?

私は一体____

「よーし、休憩休憩!」
胡桃の大きな声で、はっと顔をあげる。
胡桃はベンチ側へ向かってきていて、既に音楽は2番に突入していた。
慌てて遥は音楽と撮影を止める。
「お、お疲れ様!今日もよかったよ!」
「ありがとっ」
胡桃はにこっと微笑んだ。汗が額からこぼれ落ちる。
すぐにその汗を拭い、ふぅっとひと息つく。

「次受けるオーディション締め切りまで…あと1ヶ月。書類審査だけど歌とダンスのビデオも撮らなくちゃいけないから、それまでに少しでもスキルアップしないと…」

胡桃が最後のオーディションに決めたのは、比較的小さな事務所のアイドルオーディション。既にシングル発売やメディア進出が決まっており、デビュー後の華々しい活躍が約束されている。
真剣に練習を積み重ねその後の努力も怠らない胡桃を見て、遥は感銘を受けた。

そして同時に、自分が嫌になってしまう。

「すごいね、胡桃ちゃん。なりたいものが決まっていて、それを目指してたくさん頑張って…」

自分には何もない。

今まで必死になって何かを成し遂げたことも、本気で好きになったものもない。
なにか、夢中になれるものも…

「まぁ、私は昔からアイドル一筋だったからね。自己紹介の将来の夢って欄にはいつもアイドルですーって書いてたし。」
胡桃がおかしそうに言う。

「ははっ、胡桃ちゃんらしい」
遥は笑いながらそう言ったが表情はぎこちなかった。

なりたいもの…
私は…

「遥は?遥は将来、何になりたいの?」
胡桃が興味津々にそう尋ねてきた。

「私…?」
予想外の質問に戸惑う。

「私は…」

しばらくの沈黙が続く。


ようやく遥が口を開いた。


「アイドルになりたい…かも?」


それはいつもの遥とは思えないとても小さな声だった。
緊張したのか、顔はこわばって少し紅くなっていた。

「…は?」

胡桃は呆気にとられて言葉を失った。
それもそうだ、今まで全くアイドルを知らなかった人が言う言葉ではないからだ。
遥は慌てて早口でまくしたてた。

「いや私だってわかんない!でもねでもね、胡桃ちゃんの練習見てるとなんだか胸があつくなって、私も一緒に踊りたくなっちゃうし、今まではなんともなかったのにテレビとかでアイドルを見るといいなぁー、ステージから見る景色ってどんななんだろうなー、とか思っちゃったりしてっ…」

必死にそう思った経緯を並べる。
ここ数日のもやもやは、この気持ちがはっきりしなかったことが原因だったのかもしれない。

「遥…」

遥の勢いに、胡桃圧倒された。

「ねえ、私、アイドルになりたいのかな…!?」

自分でもさっき気づいたことだ。不安や混乱でいっぱいで遥は思わず胡桃に問いかけた。
胡桃は困惑したが、すぐにこう答えた。

「私はなんともいえないよ。それは遥自身の気持ちでしょ。
…自分と向き合って、答えを出さなきゃ」

そして優しく遥の両肩に手を添えた。

「っ…」

昔から真剣にアイドルを目指している胡桃。
たった数日でアイドルを目指したいと口にした遥。
そこに込められた想いの度合いが違う。遥は何も言えなかった。

「私は遥が本当にアイドルになりたいって思ってるんだったら応援するよ。だからさ、真剣に考えてみなよ。」

胡桃は遥の目をまっすぐ見つめた。

「胡桃ちゃん…」

俯き気味だった遥だが、その目を見つめ返す。

「ありがとう。私、考えてみるよ…!」



アイドル…私が、アイドル…

その晩、遥はベッドに寝そべり天井をぼーっと見つめていた。

今までずっと、なんとなく生きてきた。目標なんかなくて、それでも楽しいけれど…

心のどこかで、何かを目指して努力している人が羨ましかった。私もあんな風に夢中になれるものがあったらな、って…

やっと、見つけられた。


遥の答えは固まっていた。


「はーるかっ」
翌日の放課後、ベンチに座っていた遥の後ろから胡桃が顔を覗かせた。
「今日は私より来るの早いね」
「胡桃ちゃん。ホームルーム終わるのが早かったんだ」
胡桃も遥の隣に座った。そしてふぅ、っと深呼吸してから尋ねた。

「答え、出せた?」

「うん」

遥の表情は穏やかで、だけど強い決心が見えていた。


「私、アイドルになりたい!」


初めて好きと言えるものができた。
初めて憧れるものができた。
初めて何かを頑張りたいと思った。

それだけだった。

「…うん」

遥ならそう言うと信じていたのだろう。
胡桃は優しく微笑んだ。

「よーし、じゃあ今日から遥と私はライバルだ!どっちがアイドルになれるか、勝負だよ〜!」
そして突然ベンチから立ち上がり、大声で叫んだ。

「だーかーらー!私と一緒に、オーディション受けない?」

ばっ、と持っていたスマホの画面を遥の顔の間近に持っていった。画面にはオーディション募集要項のページが映し出されていた。

「えっ…?」

遥は思わず変な声を出した。

「このオーディション、選ばれるのはたったの7名。どう、これで私と勝負しない?」
胡桃は楽しそうにウィンクをして見せた。

「えっ、でも胡桃ちゃん…」

胡桃が受ける最後のオーディション。遥が参加したらその分倍率が上がってしまう。
すると続きの言葉を察した胡桃がこう続けた。

「言ったでしょ、落ちたとしてもこれで最後。最初から吹っ切れてるの。普通に落ちるより、私は遥が合格した方が嬉しいもん」

笑顔だが、どこか寂しそうな表情。
遥は返事ができずにいた。

「一緒に練習もできるよ?ね?ね?お願い!」

両手を掴まれて強く頼まれた。胡桃は必死だった。
これも胡桃のためになるなら_____
遥はぎゅっと目を瞑ったあと、その手を握り返した。

「わかった。私、そのオーディション受けるよ!」

さわやかな5月の風が吹いた。

ひとりの少女の夢が、ここから始まった。

Adolescence

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